ザ・ベスト・オブ・こぼれ話2009奇妙な出来事や突飛な話、感動的なストーリーの数々

2009年に起きた奇妙な出来事や突飛な話、感動的なストーリーの数々。





- ネパールの首都カトマンズ(Kathmandu)の空港では、空港職員のポケットマネーとしてわいろを求める行為が後を絶たなかった。これを防止するため、カトマンズ市当局は、空港職員に文字通りポケットの無いズボンを支給した。





- ブラジル刑務所で、服役囚伝書鳩を使って携帯電話を入手しようと企てていたことが発覚した。【記事】





- カナダ西部ホワイトロックWhite Rock)で、生後11か月の赤ちゃんが電話で遊んでいたところ偶然警察に「通報」してしまった。警察が駆けつけると、赤ちゃんの父親は自宅で大麻を育てていたため、その場で逮捕された。【記事】





- 「デイジー」「ガートルード」「バターカップ」などの名前をつけてもらっている牛が、名前をつけてもらっていない牛よりも乳の出が良いとする研究結果を英学術誌「Anthrozoos」オンライン版が発表した。【記事】





- クロアチアで、国民性が「侵食」されることを憂えた司祭が、流行に乗らず新生児に「アンテ(Ante)」や「ぺタール(Petar)」、「アナ(Ana)」、「マリヤ(Marija)」といった伝統的クロアチア人の名前を付けた両親たちに1000クーナ(約1万6000円)の報奨金の支払いを申し出た。【記事】





- 米国で、ファルコン・ヒーニ(Falcon Heene)君(当時6)が円盤形の気球に乗って飛ばされたとの通報があり、大々的な捜索が行われてテレビ中継もされた。しかし実は、テレビのリアリティーショー番組との契約を確実にするために両親が計画したでっち上げだった。【記事】





- 珍しい爬虫(はちゅう)類を研究する英国大学院生が7年がかりで集めた「ふん」が入った袋を、大学側が誤って捨ててしまった。大学院生は「ほかの人にとってはただのトカゲのふんだったかもしれないが、わたしにとっては苦労の結晶だった」と語った。【記事】





- 大阪・道頓堀(Dotonbori)川に24年前に投げ込まれたケンタッキー・フライド・チキン(Kentucky Fried Chicken、KFC)の創業者カーネル・サンダース(Colonel Sanders)の人形が、阪神ファンの手によって発見された。カーネル人形が道頓堀川に投げ込まれたのは、プロ野球日本シリーズ阪神タイガース(Hanshin Tigers)が初優勝を飾った1985年。リーグ優勝に熱狂し酔ったファンらが、当時の強打者でこの年ホームラン王に輝いたランディ・バース(Randy Bass)選手に似ているとの理由でカーネル人形を川へ投げ込んだ。しかし、その熱狂的な夜にドロドロに濁った川底へ沈んでいったカーネル人形と、タイガースの成績は命運を共にした。救出されたカーネル人形はその後、おはらいも受けた。【記事】





- アイルランド警察は、同国全土で50回以上も交通違反を繰り返していたポーランド人「Prawo Jazdy」なる人物に頭を悩ませていた。しかし、Prawo Jazdyは、ポーランド語で「運転免許」を意味する単語だった。【記事】





- 米露関係において「リセットボタンを押す」用意があるとのバラク・オバマ(Barak Obama)政権の強い姿勢を示す象徴として、ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)米国務長官セルゲイ・ラブロフ(Sergei Lavrov)露外相に、ロシア語で「リセット」と書かれた赤いボタンを渡した。しかし、ロシア語のスペルを間違え、実際にロシア外相に渡したボタンには「積み過ぎ」との単語が書かれていたことがわかり、米国国民の顔が「真っ赤」になった。【記事】





- 香港のある金融ジャーナリストは、英銀行HSBCの株価が市場終了直前に24%急落した際に、あまりの衝撃にテレビ生放送中に泣き出してしまった。後に、少額投資家らのショックを考えて悲しくなったと釈明し、自らは株式を一切保有してないと主張した。





- 英エセックス(Essex)州の小さな村が、道路にできた穴を「ドライバーが車の走行スピードを落とすのに貢献している」として修復しない方針を打ち出した。しかし、州議会に却下された。【記事】





- オーストラリアクイーンズランド(Queensland)州政府が「世界一素晴らしい仕事」と銘打って募集した世界最大のサンゴ礁グレートバリアリーフ(Great Barrier Reef)にあるハミルトン島(Hamilton Island)の管理人が、全世界3万4000人以上の中から英国人慈善団体職員の男性ベン・サウスオール(Ben Southall)さんに決定した。【記事】





- 英議員の不適切な経費請求が相次いで発覚する中、ある議員が、自宅の庭の池に作ったアヒル用の小屋に1600ポンド(約24万円)をかけ、経費計上していたことが明らかになった。この議員は辞任を表明。ついでに、「アヒルたちは小屋を気に入ってくれなかった」と語った。【記事】





- スイスアルプス南部の2地区に暮らすローマカトリック教徒たちは、昔から洪水をもたらす氷河の後退を祈ってきたが、その祈りを中止すると発表した。カトリック教徒たちは、「温暖化により、願いが予想以上にかなったため」と語った。【記事】





- 人気歌手マイケル・ジャクソンMichael Jackson)さんが急死して以来、マイケルさんのファンたちの間で、米シカゴ(Chicago)のフィールド博物館(Field Museum)に展示されている約3000年前の古代エジプト人の胸像が話題になった。ジャクソンさんの顔に驚くほど似ているため。【記事】





- 米オハイオ(Ohio)州クリーブランド(Cleveland)の国際女性航空宇宙博物館(International Women's Air and Space Museum)に展示されている、有名な女性飛行士アメリア・イアハート(Amelia Earhart)の毛髪と信じられていたものが、DNA検査からただの「糸」だったことが判明した。同館は、1937年、60歳で挑戦した世界一周飛行中、太平洋上空で行方不明になったイアハートの死亡の真実を解明するため、DNA検査をしていた。【記事】





- 「大きくなったら汚職公務員になりたい」――。入学式でテレビのインタビューにそんな夢を語った6歳の少女が中国メディアの話題の的になった。将来の夢を聞かれると、少女は「汚職する公務員よ。だってものをいっぱい持ってるんだもん」と答えた。【記事】

ブリトニー、公式サイトで2009年のタブロイド紙「でたらめ報道」をランク付け



script_afpbb_news,http://jss.afpbb.com/sdata/newsdelivery/ameba/js/utf8/5075000/29b0b0a283aba5a53f01ae976184f0c7.js米歌手ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)が自身の公式ウェブサイトで、2009年にタブロイド紙に掲載された自分に関する記事の中で最もばかばかしいと思うもの75本をランク付けしている。





でっち上げ上位75(TOP 75 BULLS#!T Britney Spears Stories)」と銘打たれたその内容によれば、今年はブリトニーにまつわる1万3000本もの記事が各紙に掲載されたが、その多くは「明らかにばかげているか、単に攻撃的」だという。





 ランクインした記事の中には、ブリトニーの「トレーラーパークで過ごした子ども時代」に家族でよくリスの肉を食べていたという英タブロイド紙デーリー・スター(Daily Star)の報道がある。同紙によれば、この報道によりファンが「食肉処理業者や飲食店からリス、ウサギフクロネズミの肉を買いあさった」ため、「リス肉の売り上げが急増」したという。





 57位には、肉体的・精神的なバランスを取るために植物のエキスを使う「フラワーセラピー」にブリトニーが陶酔しているという記事も。





 さらに英紙イブニングスタンダード(Evening Standard)は、ストリッパーが用いるポールドーチェスター ホテル(Dorchester Hotel)の自室に設置するようブリトニーが依頼したというものもある。同紙は、「ブリトニーはポールダンスが大好きで新しいトレーニングにしている。ホテルの自室でやりたがっている」と語った身元非公表の情報筋の話を掲載した。





 第1位に輝いたのは英紙デーリー・ミラー(Daily Mirror)の記事で、ブリトニーがインド人振付師サンディップ・ソパーカー(Sandip Soparrkar)氏と交際し、大晦日パーティーで友人や家族に紹介したとするものだ。





 そのほか上位には、英紙ヘラルド・サン(Herald Sun)が報じた口パク疑惑など、オーストラリアツアーに関するものが多い。同紙は実名のファンのコメントなどを引用して口パクに怒ったファンがコンサート会場から出て行ったと報じたが、主催者側は報道は正確ではないと反論した


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ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)youtube



★ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears, 1981年12月2日 - )は、アメリカ合衆国女性歌手。日本での愛称はブリ、ブリちゃんなど。現在は二児の母。身長163cm。





来歴


生い立ち


アメリカミシシッピ州にて、小学校教師の母と建築請負業者の父の間に生まれルイジアナ州で育つ。 幼い頃からダンスサークルで踊ったり、教会合唱団に参加して歌を唄う。8歳にディズニー・チャンネルの「ミッキーマウス・クラブ」のオーディションに応募するも、「年齢が低過ぎる」という理由で落選する。だが、番組プロデューサーニューヨークにある「プロフェッショナル・パフォーミング・アートスクール」に入学するよう薦める。 そのスクールでブリトニーは3年間学んだ。(他には9歳まで体操選手として訓練を受け、州大会で競技するレベルになっている)





最初に注目を浴びたのは11歳の頃。「スターサーチ」という勝ち抜きオーディション番組で第1週目を勝ち、注目を集めるも、最終的には敗退している。





その後、「ミッキー・マウス・クラブ」のオーディションに再び応募し合格。この番組で13歳までレギュラー出演をする。番組が終了後、一旦地元のルイジアナ州ケントウッド市に戻り、高校生として1年間学生生活を送る。





16歳の頃、女性ポップ・グループの「イノセンス」に短い期間加わる。その同じ年の後半、ソロとしてデモレコーディング。これがジャイヴレコードから契約を得る大きなキッカケとなる。ここから当時売れていたイン・シンクバックストリート・ボーイズの前座を務める仕事を受けるようになる。

私生活


2000年にイン・シンクジャスティン・ティンバーレイクと交際するが、のちに破局。





2005年9月14日に帝王切開で長男のショーンプレストン(Sean Preston)を出産。母親になってもニューアルバムの製作は続いていた。公式サイトにてアルバム曲中の「Someday (I Will Understand)〈サムデイ〉」のミュージックビデオを披露。大きくなった腹をさするシーンもある。出産数ヵ月後に第二子を妊娠。





2006年9月12日に次男のジェイデン・ジェームス(Jayden James)を出産。11月7日、ケヴィン・フェダーラインとの約2年間の結婚生活に終止符を打とうとロサンゼルス郡高等裁判所に離婚を申し立てた。理由は夫との「妥協しがたい不一致」。その後離婚協議の結果、翌年2007年3月に親権は共同保有、ブリトニー側からケヴィンに慰謝料を支払うことで合意し、7月に離婚が成立した。復縁はないとされている。





ブリトニーにはドラッグアルコールを常用している疑いがあり、子どもより自分を優先する行動、無免許運転による事故で起訴される[2](後に起訴は棄却[3])といった問題が絶えないため、裁判所は2007年10月に親権を剥奪し、ケヴィンに完全譲渡すると発表した。





奇行・復帰


2007年初頭より精神不安定のためか突然自らバリカンを持って坊主頭にしたり[4]、パパラッチを傘で叩いたりなど迷走していた。家族や関係者の説得もあって3月下旬までドラッグ・リハビリのため更生施設に入所。ダンススタジオに通いボイストレーニングをするなど復帰の準備を本格的に開始。5月1日、2004年6月のアイルランド公演以来約2年10ヶ月ぶりにカリフォルニア州サンディエゴのライブハウスで15分ほどのライブパフォーマンスを披露した。全て口パクであったがそれでもファンは待望のステージ復帰に喜んだ。


フロリダ州オーランドとマイアミでのミニライブの往路、革製のシートがないという理由で飛行機を降り、離陸時間を1時間遅らせる。その後のオーランドでのライブでは口パクで「Do Somethin'(ドゥ・サムシン)」を歌っている最中に、バックに流れていたCDが音飛びして何度も同じところを繰り返し、仕方なく観客に背を向けてごまかした。 7月、シンディ・ローパーコンサート特別出演する予定だったブリトニーが急きょ出演をキャンセル。理由は、口パクではなく生で歌うことが条件だったためと言われる。








10月には、裁判所が命じた事前に日時を特定しない薬物検査を受けなかったため親権を失い、面会権のみに制限されたが、その面会権も一時的に差し止められた。








2008年1月3日、ブリトニーはこの日の午後、ビバリーヒルズの自宅で2人の息子と過ごしていたが、元夫ケヴィン側に息子たちを引き渡すことを拒否。警察が出動する事態になり、ブリトニーは何らかの物質による合併症状を発症しているとされ、精神状態の医学検査を行なうため救急車で病院に搬送された[6]。5日には病院を退院した。この騒動により子供達との面会権を失ってしまう。





1月31日、ブリトニー自身もしくは他の人たちに危険を及ぼす可能性があるとしてカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに搬送された。





3日間の集中鑑定・治療の結果、引き続き14日間の治療が必要と診断されていたブリトニーが、2月6日午前11時30分頃に入院していたUCLA病院の精神病棟を緊急退院した。UCLA病院の担当医は、法律の下にブリトニーを入院させていたが、ブリトニーの容体は安定し、自分や他人に危害を加える恐れはないと判断し、ブリトニーが退院を望んでいるために、これ以上の入院は必要ないと判断した。入院直後は抵抗していたブリトニーだったが、病院内では診察に協力的でとてもおとなしかったという。


その後、父親のジェイミー・スピアーズがロサンゼルス地方裁判所により成年後見人として選出され権限を与えられてブリトニーをサポートしている。








完全復活


2008年3月24日、CBSで人気放送中のコメディードラマ『How I Met Your Motherハウ・アイ・メット・ユア・マザー)』にゲスト出演し、1067万人の視聴者を獲得し、放送開始からの3年間で過去最高記録をマークした。いまだにブリトニーに対する注目度が高いことを証明したことになる。TVにカメオ出演するのは、2006年のNBC『Will & Grace(ウィルグレース)』以来となる。また、ブリトニーがドラマの中で着ていた衣装がチャリティーオークションに出品され、集まった収益金環境保護団体天然資源保護協議会に送られた。 





6月25日には子供達と一晩過ごせる権利を裁判所から下され、2006年の離婚以来続いていた親権争いは7月18日に和解が成立した。 和解では、フェダーラインが息子2人の親権を維持することとなった。






桜美林大学3年小松愛唯さんがミスオブミスキャンパスのグランプリ

ミスオブミスキャンパス:桜美林大の21歳、小松愛唯さんがグランプリ





グランプリに選ばれた桜美林大学3年の小松愛唯さん タレント八田亜矢子さん(東大)や福田萌さん(横浜国大)らを輩出したミスコンテスト「Miss of Miss Campus Queen Contest2009」の本選が20日、東京・お台場商業施設ヴィーナスフォート」で行われ、桜美林大3年の小松愛唯(あい)さん(21)がグランプリに輝いた。小松さんは「コンテストに出られるだけで幸せだと思っていたので、こんな賞をもらえてうれしい。誰からも好かれる女性になりたいと思います」と喜びを語った。


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ウエディングドレス姿の小松愛唯さん(中央)。身長1メートル65のA型、スリーサイズは「忘れた」と笑った。右は準グランプリの齋藤由佳さん、左はBarbie賞の樋野千美さん





 コンテストは学生団体MARKSとフジテレビが主催。今年は全国30大学のミスがエントリーし、携帯サイトでの人気投票で選ばれた最終候補10人がこの日の本選に出場した。谷原章介さんやお笑いコンビ「はんにゃ」、昨年度のグランプリで、お天気キャスターとして活躍中の高見侑里さんらが審査を行った。





 小松さんは神奈川県出身。笑うと左ほほにだけできるえくぼがチャームポイントだ。高校時代までは雑誌の専属モデルや、映画「問題のない私たち」への出演も経験した。モデルの藤井リナさんにあこがれているといい、芸能界入りについて「一度あきらめた夢だったけれど、機会があれば挑戦したい」と語っていた。





 準グランプリには学習院大3年の斎藤由佳さん(20)、審査員特別賞(バービー賞)には専修大2年の樋野千美(ひの・ひふみ)さん(21)が選ばれた。本選の模様は、来年2月22日深夜1時10分からフジテレビで放送予定。





◆全国30大学のミスキャンパスの頂点を決める「ミスオブミスキャンパスクイーンコンテスト2009」が20日、東京・青海ビーナスフォートで開催され、桜美林大3年生の小松愛唯(あい)さん(21)がグランプリに選ばれた。





 モバイル審査で選ばれた10人が最終選考に登場。小松さんは小学生から高校生まで雑誌モデルを務め、04年公開の映画「問題のない私たち」の出演経験も、「将来はモデルにもなりたい。就活の時期なのでじっくり悩んで、後悔のないように決めます」と語った。





 準グランプリは学習院大の齋藤由佳さん(20)、審査員特別賞として特別協賛社から贈られるBarbie賞は専修大の樋野千美(ちふみ)さん(21)。この模様は来年2月22日深夜1時10分からフジテレビで放送予定。











 ◇本選出場者(敬称略)


 跡見女子学園大文化部1年・藤倉由希(ゆうき)▽桜美林大リベラルアーツ学群3年・小松愛唯▽横浜国立大教育人間科学部4年・早川茉希▽上智大外国語学部3年・早川真理恵▽学習院大文学部3年・斎藤由佳▽立教女学院短大2年・藤田美沙▽明治学院大文学部2年・家城(いえき)麻依子▽東京薬科大薬学部1年・小林あかり▽専修大商学部2年・樋野千美▽東京大理科2類1年・池田麻衣

「のだめカンタービレ」好発進!アジア5カ国・地域で公開40億を超えるか

女優、上野樹里(23)と俳優、玉木宏(29)のW主演映画「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」(武内英樹監督)が19日、初日を迎え、興行収入40億円を見込むロケットスタートを切った。韓国、香港などアジア5カ国・地域での公開が決まり、さらにオファーも殺到中。都内で行われた舞台あいさつでは、スタンディングオべーションがおき、上野は「こんなに温かい舞台あいさつは2度とない」と大感激だった。


舞台あいさつが行われた東京・有楽町のTOHOシネマズ日劇1が、まるでコンサートホールと化した。





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前列左から上野樹里、玉木宏、ウエンツ瑛士と、後列左から山口紗弥加山田優福士誠治


 上映が終わり、上野、玉木らキャスト陣が壇上に現れると、満員の950人がスタンディングオベーションで、「ブラボー!!」と絶賛。温かく鳴り響く拍手に、上野は「こんなに歓迎される舞台あいさつはない」と感涙寸前だ。





 同作は、06年秋に放送されたフジテレビ系連続ドラマの映画版。変人の天才ピアニスト、のだめ(上野)と、指揮者を目指す千秋(玉木)ら音大生の青春をコミカルに描いた物語で、その後、アニメ化スペシャルドラマ化もされた人気作。映画では、欧州を舞台に、2人の成長や恋の行方の文字通り“最終楽章”が描かれる。





 それだけに注目度は抜群で、前評判通りとなった初日の盛況ぶりに、配給の東宝は「興収40億円突破は確実!」と大興奮。余波は海外にも波及し、世界各国からオファーが殺到。さっそく来年3月4日に香港、マカオ、5日に台湾、11日にシンガポール、その後、韓国で公開されることが決定した。





 前後編に分けて公開される映画は、たいてい後編の方が成績が良いだけに、来年4月17日公開の後編と合わせれば100億円突破も夢じゃない





 玉木は「“最終楽章”ではありますが、きょうからがスタート。ぜひ、また劇場に足を運んで」と、大ヒットに期待。


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『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』youtube

『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』



★『のだめカンタービレ』 (Nodame Cantabile) は、二ノ宮知子による日本の漫画作品。女性漫画誌『Kiss』(講談社)にて2001年から2009年まで連載された。クラシック音楽テーマとしている。





作品概要


連載は『Kiss』2001年14号より開始し、2009年20号を以って終了した。また、2009年第24号より番外編の連載が開始された。





単行本は第23巻まで発行。また、累計発行部数は第22巻の時点で3080万部。





2004年、第28回講談社漫画賞女部門受賞。





フジテレビがドラマ化し、2006年10月 - 2006年12月まで放送、2008年1月4日・5日の2夜連続で続編のスペシャルドラマも放送する。また、フジテレビのノイタミナ枠で2007年1月11日から6月28日までアニメ化され、全23話が放送された。さらに第2期『巴里編』も同枠内で2008年10月9日から12月18日まで、全11話が放送された。また、2010年1月にはアニメ第3期『フィナーレ』を放送し、2009年12月と2010年春にはドラマ版を元にした映画を2作連続で公開する。





高里椎奈が小説化し、2006年12月25日に発売された。





カンタービレは、イタリア語を由来とする、「歌うように」という意味の発想記号である。





あらすじ


ピアノ科に在籍しながらも指揮者を目指すエリート音大学生・千秋真一は、将来に行き詰まりを感じて思い悩む日々を送っていた。担任の教授の教育方針に反発し口論の末に決別、別れた彼女にもつれなくされて自暴自棄になっていた。





ある日、千秋は酔っ払って自宅の前で眠ってしまう。目が覚めると周囲にはゴミの山と悪臭、そして美しいピアノソナタを奏でる女性がいた。彼女の名前は野田恵(通称・のだめ)で、なんと千秋と同じマンションの隣の部屋に住み、同じ音大のピアノ科に在籍していたのだった。入浴は2日おき、シャンプーは5日おきという不潔で変わり者ののだめへの第一印象は最悪だったものの、千秋はのだめの中に秘められた天賦の才を敏感に感じ取る。そしてのだめもまた、千秋の外見と音楽の才能に憧れて彼に纏わり付くようになる。この出会い以来、千秋はのだめの才能を引き出すべく、何だかんだと彼女に関わるようになる。





将来に行き詰まりを感じていたため無愛想だったが、本来は面倒見が良い性格の千秋は、のだめとの出会いを期に彼女の存在が潤滑油となり、音大の変人たちに出会い、懐かれ、順調に道を踏み外しながらも音楽の楽しさを思い出し、新しい音楽の世界と指揮者への道を一歩一歩切り拓き始める。また、千秋の存在によりのだめもより高い技術を得るための指導者や、環境に出会う機会を得て、それぞれが成長していく。

「慕情」」「終着駅」のジェニファー・ジョーンズ17日、老衰のため90歳で死去

慕情」「終着駅」のジェニファー・ジョーンズさん 


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  ジェニファー・ジョーンズさん 90歳(米国の女優、本名フィリス・イスリー)17日、老衰のため死去。


 1943年の映画「聖処女」でアカデミー賞主演女優賞。その後「白昼の決闘」(46年)、「慕情」(55年)など3作品の主演女優賞候補を含めアカデミー賞に4度ノミネートされた。「終着駅」(53年)「武器よさらば」(57年)でも知られ、「タワーリング・インフェルノ」(74年)を最後に映画界を引退した


ジェニファー・ジョーンズさん(米俳優)が17日、米ロサンゼルス郊外の自宅で死去、90歳。1940~50年代のハリウッドを代表する俳優の一人だった。





 オクラホマ州生まれ。舞台俳優だった両親の地方巡業に同行し、幼少時から舞台に立った。「聖処女」(43年)でアカデミー賞主演女優賞を受賞。グレゴリー・ペックと共演した「白昼の決闘」(46年)、モンゴメリー・クリフトと共演した「終着駅」(53年)、香港を舞台にした恋物語の「慕情」(55年)などに出演した。





映画「聖処女」(1943年)で米アカデミー賞主演女優賞を受賞した女優ジェニファー・ジョーンズさんが17日、老衰により米カリフォルニア州マリブ地区の自宅で死去した。90歳だった。ジョーンズさんが名誉館長を務める美術館が発表した。


 ジョーンズさんは1940─1950年代にハリウッドを代表する女優として活躍。「白昼の決闘」(1946年)や「武器よさらば」(1957年)などの作品に出演し、グレゴリー・ペックやローレンス・オリビエハンフリー・ボガートらと共演した。





 最後の映画出演は、超高層ビルの火災を描いた「タワーリング・インフェルノ」(1974年)で、フレッド・アステアとのダンスを披露した。





 私生活では、3回結婚。「風と共に去りぬ」のプロデューサーで2人目の夫だったデビッド・O・セルズニック氏と死別した後、実業家で美術品コレクターノートンサイモン氏と再婚した。


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慕情 Love Is a Many-Splendored Thing  ジェニファー・ジョーンズ(Jennifer Jones) youtube

慕情(1955) / Love is a Many Splendored Thing

★ジェニファー・ジョーンズ(Jennifer Jones、1919年3月2日 - 2009年12月17日)はアメリカ合衆国オクラホマ州タルサ出身の女優。


来歴


出生名Phylis Lee Isley、両親は巡業劇団を持っていたため、子供の頃から舞台に立っていた。


ノースウェスタン大学ニューヨークアメリカ演劇アカデミーで学び、19歳の時に同じく俳優の卵であったロバート・ウォーカーアルフレッド・ヒッチコック監督の『見知らぬ乗客』が有名)と結婚。夫がラジオの仕事を得、ジョーンズも端役西部劇などに出演するようになる。ある時、舞台のオーディションのために映画プロデューサーデヴィッド・O・セルズニックのオフィスに行き、セルズニックに認められて彼の元で契約を交わすことになった。


その後、名前をジェニファー・ジョーンズと改め、1943年『聖処女』に主演、アカデミー主演女優賞を受賞した。


1944年には最初の夫と離婚、1949年にセルズニックと再婚し、彼の元で様々なジャンルの映画に出演、アカデミー賞に4度ノミネートされるなど高い評価を得た。1955年(昭和30年)1月30日、『慕情』の香港ロケへ向かう途中に共演のウィリアム・ホールデンと来日を果たしている。1965年のセルズニックの死後はほとんど引退状態であったが、1974年の『タワーリング・インフェルノ』に顔を出している。


『タワーリング』以降は俳優活動を行うことが完全に無くなり、メディアへの露出も幾つかのドキュメンタリー番組に顔を出す程度であったが、1998年の第70回アカデミー賞授賞式と2003年の第75回アカデミー賞授賞式に登場し、健在ぶりをアピールする事もあった。


ロバート・ウォーカーとの間に設けた息子ロバート・ウォーカー・ジュニアも俳優になり、映画『イージー・ライダー』やドラマ『ジェシカおばさんの事件簿』、『L.A.ロー 七人の弁護士』などに出演している。 2009年12月17日、カリフォルニア州マリブの自宅にて老衰のため死去[1]。90歳没。


主な出演作品


聖処女 The Song of Bernadette (1943)


君去りし後 Since You Went Away (1944)


白昼の決闘 Duel in the Sun (1946)


ジェニイの肖像 Portrait of Jennie (1948)


ボヴァリー夫人 Madame Bovary (1949)


悪魔をやっつけろ Beat the Devil (1953)


終着駅 (映画) Stazione Termini (1954) - キネマ旬報ベストテン第5位


慕情 Love Is a Many-Splendored Thing (1955)


灰色の服を着た男 The Man in the Gray Flannel Suit (1956)


武器よさらば A Farewell to Arms (1957)


タワーリング・インフェルノ The Towering Inferno (1974)




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